志木市では、市民と市の職員が地域の課題を共有して一緒に解決していこうという「まちづくり会議」が、市長が旗振り役となって進んでいます。館地区は市内を7地区に分けたうちの志木ニュータウンを中心にしたエリア。ニュータウンというと、とかく急速な高齢化が課題に挙げられますが、ここでは、ちょっと様子が違うようです。子育て世帯に選ばれつつあるこの街には、いったいどのような魅力があるのでしょう。街の人に語っていただきました。
【座談会参加者プロフィール】(敬称略)
清水陽子(司会):志木市役所職員、地区まちづくり会議委員(館地区担当)。
川崎和夫:昭和57年(1982年)から在住。管理組合の建物設備専門委員長15年、町内会長3年を経験し継続中。志木ニュータウン町内会連合会では総務を担当。建築士。館地区まちづくり会議住民委員。
中村光宏:昭和57年(1982年)から在住。英語教師のかたわら町内会長を9年間引き受け、「森の祭り」(夏祭り)の実行委員長を8年間担当。多くの人たちとの出会いを楽しんでいる。
渡辺浩良:平成20年(2008年)から在住。志木二小&四小おやじクラブメンバー、技術士(総合技術監理部門、建設部門)専門はコンクリート、館地区まちづくり会議住民委員。
鈴木美央:平成25年(2013年)から在住。平成28年より館近隣公園で「Yanasegawa Market」を開催。建築家。博士(工学)。館地区まちづくり会議住民委員。
計画当時から住む人の心地よさが意識されていた
清水 きょうは「ニュータウンが魅力的でありつづけるために」というテーマで語り合うために、街で活動する4人のみなさんに集まっていただきました。はじめに川崎さん、志木ニュータウンができた頃の話を伺ってもよろしいでしょうか。
川崎 志木ニュータウンは、志木市が開発を募集して昭和46年(1971年)に鹿島建設が採用され、昭和54年(1979年)から入居が始まったという歴史があります。
この街のコンセプトが私はすごく気に入って、販売があるたびに抽選に応募していたんですが、当時は30倍以上の確率で、全然当たる気がしなかった。私が入居したのは、昭和57年(1982年)。運良く、5、6回目ぐらいに当たって入れました。
鈴木 その当時、人気の理由は何だったんでしょうか?
川崎 建設会社が社運をかけて開発して、敷地も含めた街全体の計画でアピールしていたというのが、魅力的に映りました。都内に勤めがある人には、自宅が駅に近く、池袋まで出ればそこから30分程度でほぼ都心部の何処へでもいけるのもポイントだった。あともう1つは、この地域の教育レベルが高いと言われていたこと。私も二人目が生まれたばかりだったので、子育てにもいいかなと。
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昭和63年(1988年)撮影
清水 街のコンセプトは具体的にどういったものだったんでしょう?
川崎 全体が計画的に統一された街、デザインも当然統一されているし、当時から植栽も相当意識されていました。
ここにちょうど写真がありますが、当時、こんなに小さかった木々が大きくなって、今では森の中に建物があるという感じにまで成長しました。実際、現在の志木ニュータウンの各街区には、中央の森や南の森といった「森」という名前が付いていますね。

館近隣公園の広場 昭和57年(1982年)頃(左)、現在(右)
ディテールでいえば、例えば電線がない、電柱がない。それから車の経路ですね。街区の中に車が通り抜けるような道がないというのもいい。
鈴木 歩車分離ですね。
子育てしやすい街の「造り」と「密度」がある
清水 いま、歩車分離という声がありましたが、子育て真っ只中の鈴木さんにはそこがポイントなのでしょうか?子育て世代も今、たくさん引っ越してきていますね。
鈴木 私、ここに住む前にはなんの期待もしていなかったんです。大学も都内だったし、その後働いたのもロンドン、東京と、歴史の中で少しずつ形成されていった大都市にいたので。結婚してここに住む可能性が出た時には建築家なので、この街を航空写真でながめて、「これぞ計画都市」と思いながら見ていたんです。
志木ニュータウンのように計画された都市は、都市計画の中では批判される面もあります。一気に高齢化するとか、新陳代謝が起きにくいとか。だけど、うちの夫の友人達が、男性なのに「ニュータウンに帰りたい」と言うんです。口を揃えて大好きだと言う。大の男が自分の育った場所に帰りたいと話すのには、よほど何かあると興味が湧きました。世間で言われることと住民の、そのギャップを知りたくて夫の実家近くに住んでみたんです。そうしたら、どっぷりはまってしまった。
清水 はまったポイントは?
鈴木 結局は設計がすごく良かったということだと思うんです。
一つは先ほどいった歩車分離。街区内に車が来ない。長女が0歳の時に越してきて、二歳差で次女が生まれましたが、歩くのがおぼつかない年齢の子も自由に歩かせられることは大きな魅力でした。弱者に配慮した計画がうまくいっています。
二つ目は公園が多いこと。立派な公園がいたるところにあります。「きょうはどこの公園行く?」と言って、徒歩圏内で選べる。それも恵まれた環境だと思います。
三つめは密度が濃いこと。私は一軒家に育ちましたが、それだと知り合いの家までちょっと距離がある。ここはマンションなので、すぐ隣の棟に友達がいてと、いつも近くに誰かがいる。するとお互い助け合いやすいんです。友達が風邪をひけば、その子どもを自分の子どもと一緒に幼稚園引き連れていく。そういう互助やコミュニティが形成されやすい規模。みんなが愛着を持って住んでいます。
さらに、徒歩圏に便利なものがたくさんありますね。図書館もありますし、子どもがバレエを習いに行ったのは隣の集会所。幼稚園も小学校も駅も歩いて行ける。
渡辺 市民体育館もね。うちなんて体育館から近いから、時間の空いた時によく卓球やバドミントンをしに行きましたよ。子ども達は「我が家の卓球台やコート」のように思っています。
めざしたのはヨーロッパの環境都市?
清水 公園が多い、緑が多いというのは、どの年代にもやさしい環境ですね。
渡辺 このニュータウンは、ヨーロッパの大規模な団地のような街を目指したんじゃないかと思います。ドイツにいたとき、ミュンヘンに住んでいたんですが、そこの団地はニュータウンによく似ています。それで私もここに引っ越してきました。
鈴木 ドイツ、まさにラドバーン方式ですよね。
中村 ドイツとか、オランダとかの感じですね。
渡辺 そうですね。やはり公園があって、四季折々の花が咲き乱れている中を散歩する。ニュータウンの端の河岸段丘の下に湧き水が湧いていて、あそこにザリガニやオタマジャクシがいます。小さい子はよく遊びに行く。そういった自然もあるのは、魅力的ですよね。
川崎 近くに柳瀬川が流れているのも大きいと思いますよ。
鈴木 子どもがバーベキューしたいと言ったら、その日にバーベキューセットを持って河原に行きますよね。
渡辺 お父さんもお酒を飲めるんですよ。普通、バーベキューって車で行くから運転手は飲めないんですが、ここの住人はカートでガラガラ食材を引いていくので、誰も我慢する必要がない。
川崎 意外と河原で花火使うの禁止というところも多いんですよ。ここは禁止していないですね。
鈴木 ここはできる状態を保とうとする住民がいる。ルールで禁止してしまうのは簡単だけど、それじゃいけないからと街の人が河原のゴミ拾いなどの努力をしていい街をつくっている。すごいことだと思います。
街の人に愛されてきた「森の祭り」をまもりたい
清水 住環境だけでなく「森の祭り」も志木ニュータウンの魅力に挙げられますね。どういった経緯でスタートしたのでしょう?
中村 当時の夏祭りに関わった方から伺うと、平成元年(1989年)に子どもたちのための夏祭りをやろうと「南の森子ども祭り」という名前で、小中学校前のマロニエ通りを中心に屋台を出したりイベントをやったりする形で出発したようです。その後、東の森ができ、中央の森ができ、町内会連合会ができ上がったので、全体で夏祭りをやろうと。そういう経緯で大きくなりました。
その頃は、土・日の2日間かけて、かなり大規模なお祭りをしていました。各街区が分担して、たくさん模擬店を出していましたね。焼きそばが出たり、かき氷が出たり。会場となった小学校の校庭にはやぐらが組まれて夜になると盆踊りという、非常に盛大でした。ここに住み始めた方たちが30代、40代だったので、それだけの力業ができたんですね。
川崎 志木四小のグラウンドにやぐらが建って、万国旗が吊られて、その下でわいわいがやがややっていた。
中村 今から10年ぐらい前に、館近隣公園へ場所を移して土曜日だけのお祭りになりました。私は今年で8回関わったわけですが、それは結局、誰かがやらないとなくなっちゃうかもしれないという心配が理由でした。
私は小学2年の夏休みに、初めてお祭に行って、山車を引っ張ったり、子ども神輿を担がせてもらったりしたことをよく覚えています。途中で休憩があるとアイスキャンディーをもらったりしてね。その日の絵日記は、余白にはみ出すぐらい描きましたね。子どもにとっての夏祭りは、それぐらい楽しいものだと思います。
だからやっぱり、今の子どもたちにも同じようなふるさとでの体験をしてもらいたい。夏祭りを楽しみにしてお爺ちゃん、お婆ちゃんの所に来てもらいたい。それが私の「森の祭り」にかける想いです。
川崎 盆踊りは去年、久しぶりに復活したでしょう。やっぱりお祭りは盆踊りだね。年に1回だけど、ニュータウン全体の人が出てくる。
鈴木 子ども達も楽しみにしています。幼児はお神輿引くのやお菓子をもらうのを楽しみにしていますし、小学生になると輪投げなどの景品が豪華だから、「こんなにたくさんもらった!」みたいなこと言っていたり。大人は盆踊りと、世代ごとに。
川崎 踊りが趣味だと周りは知らなかった人が、張り切って踊ってるのを見てびっくりしました。
鈴木 確かに。隠れたところが出るんですよね(笑)。
見えてきた意外な街の課題
清水 志木ニュータウンの魅力を伺ってきましたが街の課題としてはどんなことがあるでしょう?「館地区まちづくり会議」は2期目になりますが、第1期から委員を務められている渡辺さん、いかがですか?
渡辺 第1期は平成26年(2014年)の7月から28年(2015年)6月までの2年間。約8,000人いる住人が、実際に何を思ってるのかを正確に把握して、課題解決に結び付けようということになりました。
そこで第1期は「志木ニュータウンの未来を考える館地区住民アンケート」を行いました。調査結果で驚いたのは「この街に可能な限り住み続けたい」という方が86パーセントもいたことです。
また、「現在の生活でどのようなことに不便・不安を感じていますか?」の設問に対しては、我われ的には病院が近くにないとか、エレベーターのない棟での階段での歩行が困難などが多いのかなと想定していたんです。ところが「良いレストランが少ない」が一番でした。昔のように若い人もたくさんいる活気ある街にしてほしいという意見も多くありました。ちゃんと住民の要望を聞かないと施策を誤ってしまうなと反省しましたね。
第2期については平成28年(2016年)の7月から30年(2018年)の6月まで。第1期で浮き彫りになったニュータウン共通の課題などを話し合う場を作ろうということになっています。現在、8管理組合と8町内会の街の代表が集まった懇談会を形成しようという段階です。それができれば、いろんな課題が解決していくのではないかと期待しています。
清水 「住み続けたい」という方の意見が多かったことについて、どう思われますか?
中村 86パーセントの永住希望者。その数字にはびっくりしました。でも言われてみると高齢の方がここからどこかに移りました、積極的によそに新しい家を建ましたということは、あまり聞きません。「終ひの住処」という感じです。
普通は若い頃には民間アパートなどからマンションに移って、ゆとりができると最後は戸建てへという流れがあるものですが、このニュータウンはマンションで止まるんです。止まって満足という。戸建てに代わる魅力がこのニュータウンにはあるんじゃないかなと思います。たとえば、夏なんかは避暑地の別荘に行っているような感じ。外を見ると緑があふれていて、朝は鳥の声でもって目が覚める。
鈴木 木々が生い茂って、ずっと日陰で歩けますしね。
中村 桜の季節は桜が、秋には紅葉がというように、居ながらにして四季折々の彩りが楽しめるとなると、わざわざ田舎に引っ越して戸建をもつことはないということかもしれない。
川崎 うちのベランダにもプランターにちょっと花が咲いているんですけど、毎朝、そこにメジロだとか、小鳥が蜜を吸いに来るんですよ。なかなか、かわいいですよ。
清水 都心からのこの距離でそういう所って、なかなかないですね。そこから仕事している世代は通勤もできる。
中村 ニュータウンと名のつく街はたくさんあるけれど、みんなが寄り集まって話し合いができたり、全体の問題を共有できたりする“ほど良い街の大きさ”というのも、ここの魅力のひとつかなと思います。そういう街だから、この「まちづくり会議」も自然な形で成り立つんじゃないですか。
渡辺 可能なんでしょうね。あまり大き過ぎるとまとまらなくなりますよね。
川崎 ちょうど一つの鉄道の駅のエリア、歩いて行ける距離の中に全部あるということで、一体性があるんだと思いますよ。
グローバル人材を育てる土壌がある
清水 教育面ではどうですか?館地区の教育環境といいますか。
渡辺 志木市自体がもともと少人数学級というのも、引っ越してくるときにポイントになりました。小学校の低学年は、25人以下ぐらいですね。
それにプラスして、入居されている方の受けた教育水準の高かったんじゃないかと思います。この街では、高い水準の教育を受けた親が子にも高い水準の教育を受けさせる「教育の正の連鎖」が起こっている。みんな、部活動なども非常に一生懸命やっていますし、その後に塾に行って遅くまで勉強しています。近くに慶応志木高校や立教新座中高もありますが、そういう難関校にも、1学年で何人も入ってるようです。埼玉で教育というと、すぐに浦和の常盤地区が挙がりますが、不動産屋さんがなぜ館地区をもっとアピールしないのか不思議なくらいです。
中村 だけど勉強ばかりガリガリやってるのとも違うんですよ。体育祭のときに我々が神輿かつぎのアトラクションをするために学校にいろいろとお願いをしたところ、生徒会がパッと動いてくれて。これが嫌々じゃなく、自分たちもどうやって楽しもうかという話になっていて、ちょっと大人っぽいのね、発想が。当日になると、こちらが望んだ以上のこと見事にやってくれる、そういう子どもが大勢いる。
渡辺 ニュータウンには知識や経験が豊富な方がたくさんいらして、そういう方の経験を伝える場も、今、学校にあるようです。それはこの地域の資産ですね。
中村 去年の秋に文化勲章をもらった大学の先生がいらしたり、一緒に町内会の役員をやっていた人が実はすごい作曲家だったり。そういうレベルの話が、しょっちゅうありますね。海外経験のある人もすごく多い。
鈴木 帰国子女学級が日本で最初にできたのも志木四小なんですよね。昔、ここに海外勤務するような人がたくさん住んでいたので、帰国子女のフォロー用の学校ができたと聞きました。
渡辺 いろいろな環境で育ってきて、さまざまな価値観を持っている子ども達が集まって、普通に学校生活を送りながら共有できるというのも、この街で育つメリットになっていますね。
行政の立場を尊重して自分たちも汗をかく
清水 まちづくりの話に戻りますが、館近隣公園などは今、すごくきれいになっていますが、どのように整備されていったのでしょうか。市とのお付き合いも上手くされてますよね。
川崎 ある年のこと、公園の広場の半分が前年の整備工事で掘り返したために草が全く生えず、砂ぼこりが舞うような状態になったことがあるんです。「森の祭り」の会場準備が心配になって、市に相談しました。芝なりクローバーなりまいて何とかしてくれないかと。
年度予算も、もう既に執行が始まっているときで、市のほうも急にそんなことを言われても対応できないだろうと思ったので、町内会のほうでできるだけ協力するから、市もできることを協力してくれないかと申し入れました。結果、市からクローバーの種や肥料などを提供いただけた。町内会連合会が中心になって、種まきをし、肥料をまき、その後、夏の暑い時期には水やりをした。
清水 市に何かを要望するときに、どのような説明の仕方がいいとお考えですか?
川崎 市は予算の中で動いてる組織ですし、それ以上のことをいきなり要求したって動かないのは当たり前。短期に何かを求めようとすれば、今、市ができることはこうだろうと予想するとともに、自分たちが汗をかけるところはかくという具合に発想していけば、大体、物事が見えてくる気がします。
もう少し長い目で見て事業にそれなりの予算をつけたいときにも、ニュータウン全体の統一意思であると裏付けがあれば、市のほうも安心して事業できます。
渡辺 行政もただ予算消化しているだけじゃなく、住民のために一生懸命やりたい気持ちはあるんですよね。だから、要望を汲み取りやすい形にして持っていくのは大事ですね。
つぶされるはずだった保育園が逆に2つに!
清水 住民の意思統一をして、市とのギャップを話し合いで変えていった好事例も、このニュータウンにはありますね。
中村 平成25年(2013年)に、市は館地区にある老朽化した保育園を取り壊す計画を発表したんです。その跡地に高齢者向け施設を建設する計画を持っているようでした。高齢者が増加しているという数字だけを見ればそれも考えられたけれど、ここの住民の希望はそうではなかった。
川崎 この街の魅力を維持するためには、子育てしやすい環境があることのほうが大事だと訴えたんです。
鈴木 今目の前にある数の論理で計画するのではなく、未来の方向性を考えようということですよね。
中村 保育園に子どもを通わせてる保護者たちはもちろん、町内会も市の保育園廃止計画に反対した。25年、26年、27年と3年間、住民との話し合いが続いて、市の担当部署もとても真摯に向きあってくれた。そして、最後にはなんと「そんなに必要なら、館保育園と同じものをもう一つ、道路の反対側の小学校の土地の中に同じ規模で造りましょう」ということになった。
川崎 保育園をつぶすはずが、2倍になった(笑)
鈴木 しかも小学校の校庭が使える保育園で、すごくいい環境なんですよね。
中村 住民が何を求めてるのかを知らないと、行政は的確には動けないんですよね。それも早い時期によく話をしておくことが大事。時間もかかるし手間暇も掛かかるけれども、そこをはしょってしまうと、ボタンの掛け違いがおこる。行政と住民が、意識や情報を共有していく必要性と大切さをつくづく勉強させてもらいました。
マーケットで30代、40代にも魅力的な街に
清水 今後ニュータウンは、どのように変わっていくとより魅力的になると思いますか?
鈴木 いま実は私たち30代、40代が面白いことって地域にはあまりないんですよ。これはどこの地域も一緒なんですけど。何もないという意識を持ってる人がすごく多い。そうなるとここは住んでいるだけの場所になり、池袋まで行かなきゃ、ららぽーとまで行かなきゃという感じになる。
だからまず30代、40代も楽しめるものが必要。かつ、その子どもやお爺ちゃん、お婆ちゃんまで、全世代が楽しめるものを作りたくて、私はマーケットを館近隣公園ではじめました。
実は出店者を集めてみると、地域には魅力がいっぱいあるんですよね。絵本の古本屋さんやネイルサロン、マッサージ屋さん、ご実家が無農薬野菜を育てているという方には野菜の出店をお願いしました。魅力的な人がたくさんいて、それを集めてきて場をつくると、どの世代も楽しめることがわかってきました。うちの子なんか、ワークショップでの「この街に暮らす喜びを教えてください」というテーマに、「マーケットがあること」って答えていました。
川崎 たいしたもんだね(笑)
鈴木 マーケットや市(いち)は、外国だと当たり前に毎週末あります。行けば地域の人が集まっているから、何となくコミュニケーションができる、お店の人とも知り合いになる。そんな場があることで地域を好きになり、大切にする良い循環が生まれます。
川崎 去年の「どろんこ祭」と合体したやつも面白かったね。
中村 あれは面白かった。
鈴木 あの「どろんこ祭」では、古くからある商工会の組織の力を借りられたのが大きな成果です。志木市の中でも特殊なニュータウンという街ですが、今後はひと枠広げて志木全体ともつながっていきたいんです。市内の組織との繋がりとしては、その次のマーケットではJAあさか野が出店して、「志木産の野菜」を披露してくださり交流が広がっていますね。
清水 意外に住んでいる人って、地場の野菜を知らないんですよね。宗岡のほうれん草、おいしいですよ。
川崎 世話をしてくれた商工会青年部の皆さん、こまごまとよく働いて、たいしたもんだと思いました。いい組織でしたね。
中村 土地の人と、後から来た移住者との垣根は崩れたほうがいいんだよね。たとえば自主防災でも、古くからある幸町とニュータウンは四小の体育館が避難所になっている。どういうふうに避難所を使うか、そこにある物資はどう分けましょうかと調整をはかる。そういうときも高い垣根はないほうがいい。
川崎 だんだん、そうやってニュータウンの殻にこもらず、少し前に出て行かないといけない時期に来ていますね。
成熟したからこその魅力をオール志木ニュータウンで
清水 代替わりしつつある中で、新しい風をシャッター街と言われているぺあもーる※1でも感じられるのだとか。
鈴木 私、意外とぺあもーるは、すごいと思っているんです。新しく保育園もできたので、お母さんたちは帰りがけに交流しながらサンアイ※2でお惣菜買ったり、パンを買ったりしています。ラーメン屋さんは、中央の森弐番街と東の森壱番街の住人が一緒になってオープンさせました。手前にはバーができて人が集まるようになってきたりと、二世代目を中心に新たなコミュニティが形成されつつあるんです。
垣根が壊れ始め、街が成熟しはじめている証拠。一世代しかいなかった街が、三世代で楽しむ街になってきている。お爺ちゃん、お婆ちゃんが幼稚園や保育園の送り迎えしている姿をよく見かけますが、30年前の入居者世代のときにはみられなかった光景かと。
中村 森の祭りなんかでいうと、よその人も入れようとオープンにすると、もっと変わると思う。お神輿は今、下町からも担ぎに来ているけど、高坂や東松山だとか、秩父の寄居だとか、そういう所の夏祭りにも手伝いに出掛けて行ってます。
鈴木 この間、良かったですね。いろんなはっぴを来た人が来ましたね。
中村 リクルートしにいくわけですよ、こっちから。伝統のある祭りやいろいろと工夫したやり方から刺激をうけたり、勉強したりできることもあるから、そうしたことから今までの祭が違うものになる可能性がある。少しずつ変わっていくんだよね。
鈴木 素晴らしいと思います。
川崎 ともかく、私は志木ニュータウンの根本は、みんながこの街が好きで愛着を持っている。全てそこから始まるんだと思うんですよ。アンケートにも永住意識が強いと出ていましたが、それがある限り、ニュータウンはずっと発展していくんじゃないかなと。
おまけに、若い人たちが子育てしやすい街として入ってきている。だから多世代の住まい手が交流しながら、もっと大きい目線でものを見るのはすごく大事でしょうね。そういう芽生えが出てきているのはすごく私はうれしいです。
一人ひとりの街への愛着みたいなものが原点で、1人じゃ難しいから、2人、3人がつながって芽になってくれば、新しい機能を発揮していくでしょうね。
清水 ありがとうございました。地域全体の人が、街区だけじゃなくニュータウン全体で考えてやっていく必要性があると、あらためて分かりました。これからどんどん良い街になるように、皆さんのご活躍を期待しております。今日はどうもありがとうございました。
※1 ぺあもーる:志木ニュータウンの商店街
※2 上記ぺあもーる内にある精肉店